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台北の西本願寺遺跡

60世代の西本願寺
西
日本統治時代の1922年に建てた浄土真宗の西本願寺の台北
別院は今賑やかな西門町の付近に位置しており、終戦後
「理教総会」として人々に知られていたが、1975年に不審
火で木造寺院約208平方メートルの全部を焼失してしまい、
廃墟となっていずれも往時の雰囲気を色濃く残していない。
西1
その時には西本願寺は台湾最大を誇る和風寺院として東本
願寺、臨濟護國禪寺、東和禅寺などと共に佛教の代表的な
建築寺院と注目されていたのは確かである。
廣
現在は萬華406番広場となっているが、のんびりと往時の
寺院面影の趣を味わうことができない...残念..。
表參
かつて参道の所在地は本堂と山門の間に石で鋪装された参
道で幅4.55㍍長さ35㍍である。日本人信徒による献金で
山門が建設された後に施工が決定され、約2ヶ月で竣工した。
番
輪番所
一般にお寺の護持をする方を住職と言う。別院と言われる
お寺はご本山直轄の寺院であるため、住職は本願寺のご門
主となります。その代わりに別院にあって護持をする方を
輪番と呼る。ここの輪番所は輪番の住居である。大正13年
(1924)集合所そばで兼用されていた臨時の輪番所が夜中
に突然火事を起し、集会所が全焼しまい、中に貴重な蔵経
や児玉源太郎総督が贈呈した横額も焼失しまった。
番1
同年に新しく独立の輪番所を建てることを決定、総工事費
7500円をかけ、施工開始から4ヶ月後に竣工したのが今日
の残った木造建築である。
西堂
山門は1934年施工開始3ヶ月後に竣工し、山門の両側の
塀はより簡単な方式でしか建造できなかった、現在山門
は既に存在しない。
鐘舊
昔に時を告げる施設の鐘楼は台座ぐらいに残っている、
そのままに長い歳月を過ごしてきた孤独な遺跡である。
所
樹心会館の建造は新しい時代の精神を表現するため、レン
ガ構造と西洋式の木造屋組、を採用し、さらに西洋式の柱
を装飾とした持ちながら、入口は和式円弧形の「唐門」と
なっており、東洋と西洋を結合した和洋折衷の様式となっ
ている。
樹
1923年竣工した際に児玉源太郎総督から「樹心佛地」と
いう横額を贈呈された為、当時の佐々木輪番がこの会館
を「樹心会館」を命名した。同時に幼稚園が設立されて
おり、平日には集合、会議なの場所として利用されている。
心
樹心会館の原型を留めているのは基として存在、廃墟特
有の侘しい雰囲気が周辺に包み込んで風雨にさらされる
ばかりである。




題目:台灣本地遊 - 部落格分类:旅行觀光

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